内観懇話会(6月)印象記

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真我を悟る科学

 

6月19日(土)午前中に6月の内観懇話会が開催されました。すぐ後に大阪・十三にて日本統合医療学会阪奈支部ヨーガ部会設立総会が開かれるため、少し早い時間からの開催でしたが、たくさんの方にご来場いただきました。本当にありがとうございました。

 今回は木村慧心先生の元でヨーガを熱心に学ばれているNさんに遠路ご足労いただきました。

インドやチベットでの集中修行会にも参加されておられる方ですので、集中内観の体験だけでなく、ヨーガとの関連を分かりやすく語って頂きました。ヨーガの関係者の方も多かったのですが、「ずっと内観を学んでいたけども、今日ようやく内観とは何かが分かったような気がする」と仰っている方もおられるぐらい充実した時間でした。

Nさんは柔らかい雰囲気で語りかけてこられました。「東北地方の出身で、若い頃は好き勝手やっていましたね。好き勝手というのは、芝居とかバレーとかですね。バレーボールじゃないですよ(笑)」 

Nさんはカイラス・チベット修行会に臨まれるにあたって、5年前に集中内観を米子内観研修所にて体験しました。内観は初めにまず母親について調べるのですが、とても困られたようです。

「小さい時はお祖母ちゃんの背中におぶわれて育ったんです。足が地面に付くぐらいの年ごろまでおぶってもらいました。小学校に入ってもとても虚弱児でしたね。なぜ、お祖母ちゃんに育てられたかと言いますと、母親が昔の小学校の先生だったのです。朝の暗い内から2時間ぐらいかかって通っていたのではないかと思うのです。父は警察官をやっていたので二人とも家にいないわけです。お祖母ちゃんと母の妹の二人だけで私を育ててくれたわけです。だから、小さい時の母親の記憶がほとんどなかったのですね」

「内観は必ず母親から始まるのです。その前に面接者の方から内観研修の心得ということで、『カーテンを開けてはいけませんよ』『電気も消して下さい。人がいないわけですから、開けようと思えば自分で開けられるわけですけど、それでは心の内を調べることにならないからダメですよ』『他に内観している方がいて掃除の時に顔を合わしたりしますけれども、話しかけてはいけません。電話をしてもダメですよ』と言われるわけです。一週間、内観だけに専念するわけですね」

 

ここで、「自分とヨーガとの出会い」を語って下さいました。

 「私が若い頃は会社を勤めてもよく上司と衝突していました。面白くない上司がいますと、『こんなところでやってられるか!』とすぐに辞めてしまって、そんなふうに職をよく替えていました。でも、30ぐらいになってそんなのだったらどうしようもないですね。『これじゃダメだな』とやっと思い始めて、『どうしたらいいのだろう...』と考えていたら、新聞にヨーガの研修会の広告が出ていたのですよ。『あ、これだ』と思って行ったら、ズバリでしたね。簡単なアーサナをやっただけだったのですけれども、それまでの人と上手く行かないということにこだわっていたのかと思ったら、それがふっと消えてしまったのですよ。『自分は何をやって生きていてもいいのだ』という思いが出てきたのですね」

インド哲学の源泉であるヨーガと出会い、Nさんの人生は大きく変わって行かれたようです。

 「人を見るということ、人の気持ちが分かるというのは、人の上に立つ人は分かっていないと出来ないのですけれども、逆に、表現が良くないかもしれないですけれども、掃除のおばさんとか、一番下にいる人は実によく人を見ていると思います。例えば、その家のゴミを見ればその家がどのような生活をしているか分かるようなものですよね。物を粗末に扱っているか、贅沢しているか、奢った生活しているかがゴミの仕分けで分かります。下にいる人であればあるほど、その家の人の心根までもよく見えるのです。昔の人はいい事を仰っていますが、家の玄関に入ったら履物が揃っているか、その玄関が奇麗になっているかが第一印象ですよね。そしてもう一つはトイレに行ってみたらよく分かります。奇麗になっているかどうかですね。僕はそれ以後、人の下に立つ道を選んで、そのような仕事を中心にやりました」

 

  そして、Nさんにとって大きな木村慧心先生(日本ヨーガ療法学会理事長)との出会いについて語って下さいました。ここからヨーガと内観(瞑想)がつながっていきます。

 「私が木村慧心先生と出会ったのは一九九十年代の最初の頃でした。東北に見えた時に講演を聞いたわけですよ。非常に感動しました。その時に木村先生がインドでご自分のお師匠さんに出会われるいきさつから、そこで18年間、日本とインドを行ったり来たりして修行されたということを事細かに話して下さいました。びっくり仰天しました。『ああ、日本にこのような方がいらしたのか!』と。それまでのヨーガというのは体操中心としか私は知りませんでしたからね」

 

「先程、集中内観に入る時は、目を閉じると言いましたね。目を閉じることは目を瞑ることで、これが瞑想ですよ。日本ヨーガニケタンで発行されている『ヨーガの森』に木村先生のお師匠さんの教えが書かれていますが、目を閉じると何もかもが見えてくるということが実によく分かりますね。簡単に説明しますと、目を開けていると感覚器官が働くわけですよね?まず、目で見て判断しているわけですよね。どんどん入ってきます。次は耳、次は触覚ですね。そのようなものをシャットアウトしなさいと仰っています。そのような感覚器官を全部無くしたところから始まるのだと書かれています」

 

「内観を体験すると『涙が止まらなかった』とか、『今まで自分がどれだけ我儘だったのかと気が付いた』とか言いますけれども、感覚器官を遮断するとそのようなことが見えてくるわけですよ。自分の『エゴ』というものがね。その『エゴ』というものが内観という反省する形でなぜ出てくるのか?と言いますと、今までは他のものを通して自分を判断していたわけですから、その判断というものがいかに違っているかということですよね」

 

「YIC(ヨーガインストラクターズコース)やYTIC(ヨーガセラピストインストラクターズコース)で習っている人はよく聞かされていると思いますけれども、目の前に見えるものは全て幻なのですよね。見えているのだけれども、実体のないものを見ているのですよね。見ている目や耳という感覚器官も実は幻で、無くなるものですよね。よく考えてみたら、人の命そのものが高々100年ですよね。死んだらどうなるのか?ということで、ほとんど死後の世界ですよね。肉体が無くなって、感覚器官が無くなっても、まだ微細な感覚器官が残っていて、その微細体を楽しんでいるのだそうです。そのような執着の強い人は、またこの世に生まれ変わるようになっているのだそうですね」

 

「だから、解脱するというのは、そのような一切の好き嫌いや執着も何も無くなって、欲も無くなって、このような幻から自分の心が離れた時に、『本当の自分』があるそうです。それと一つになると何も無くなってしまうと書かれていますね。」

 

内観の目的である「本当の自分に出会う」ということについて、Nさんはさらに詳細な方法を説明して下さいました。

「内観をしていると『自分が...自分が...というのがいかに多いのかに気が付いた』『自分本位に判断していた』ということがよく分かると言いますけれども、その『自分が・・・自分が・・・』というのは最後に良い方向に働いて、『私は真我だ』ということに気が付くためにあるわけです。この『自分が...自分が...』というのは『我執』と言いますが、人間に属した感覚器官(脳とか内臓など)とは別に四つの内的な心理器官があるわけです。その中で『理智』(ブッディ―/御者)というものがあって一番大事な器官であると木村先生は仰っています。理智は『自分はこれがいい』『これは悪い』を判断する器官であり、知性の器官であるわけです。その他の心理器官の一つに先程の『私が...私が...』というように働くだけの器官があるわけです。そして、『心素』ですね。これは経験したことを全部記憶するという『記憶袋』ですよね」

「真我という『本当の自分』があるとすれば、『嘘の自分』というのもあるわけですよね。『そこは私が座る所よ!なんであんたが座っているの!』とか言っていると、『嘘の我』が判断しているわけです。そのようなことを真我が言うはずないわけですよね。その真我というのは、目に見えるものではないですね。解剖したって出てくるものではないですけれども、あるのですね。」

 

内観では「どのような方にも仏性がある」と言い伝えられてきていますが、Nさんは誰にでも正しい判断が出来るものがある、真我があるということを語って下さいました。

「内観によってなぜ、今まで見えてなかったものが見えてきたり、正しい判断が出来るようになったりするのか?ということなんですけれども、まず真我というものがあるということで、それだけが実在するものだということが分からないと、判断できないですよね。でも、信用しようとしまいと、あるものはあるのですよね。本当に実在するものは一つだけあります。よく言う例えですけれども、10円玉一つでも、道端に落ちていて、拾うとつい周りを見てしまって、『何か具合悪いなあ』という気持ちになりますよね。そのような気持ちは何で湧いてくるのかな?ということですよね。だから、正しい判断をしているものがここにあるからでして、それが働きかけるわけですね」

 

 「目に見えない洞窟の中に真我は住んでいるわけです。それに一番近いところにあるのが心素である記憶袋ですね。全部を記憶させるわけです。4つの心理器官は相関関係にあって、相互に作用しているわけですよね。理智(御者/ブッティー)が間違った判断をしても、『それは違うのではないか?』と心素が働きかけるわけです。心素は真我の影響を一番受けているわけですからね」

 

「最近、僕は知ったのですけれども、心素というのは『調和』という働きを既に持っているのだそうですね。ある高名なヨーガ行者の方が仰っていましたけれども、自分の指先がちょっと傷ついたり、歯がちょっと痛んだりしただけで、そこだけ気になって、やる気がなくなってしまうことってありますよね?『別にどうってことないんじゃない?』と思えばいいのですけれども、思えないのですね。一日中ずっとうっとおしかったりするのです。なぜそうなるか?と言いますと『自分自身の調和を乱されたから』というわけですね。私達もこの宇宙の一つですよね。宇宙全体から見たらこの指先一つかもしれないですよね。『人間全体を宇宙の一つとすれば、自分を傷つけたら、全体を傷つけることになりませんか?』 実にうまいこと言いますよね!自分の調和を乱していることは、宇宙全体の調和を乱しているのですよということですね」

 

「真我を悟るにはどうしたらいいのか?ということですけれども、これも『ヨーガの森』に書かれています。目薬をさす時って実際には目薬は見えないのですよね。でも、鏡をおいて見ると、『自分は今、どのような薬を目に入れているのか』というのが、そっち(鏡)を見た方がよく分かるわけですね。先程、心素や理智が真我の傍にいるって言いましたけれども、それは鏡のような役割をしているのですね。だから、その鏡(心素・理智)を見ると真我が見えてくるわけです。行者さんって本当にうまい例えをしますよね」

「この時に我々は『これが真の私だ』と言うわけですね。最後に我執である『私が...私が...』という『これはエゴだ!』と思っていた器官が、ここで最後の結論を下すわけですよ。『本当の私はこれなのだ』ということをズバリとそこで言うわけですよ。それが悟るということだろうと思うのです」

「そして、瞑想だけがそのようなことを可能にするというわけですよ。体操する時でさえ、目を閉じて、『内側の変化を感じなさい』『どこが緊張してどこが緩んでいるか』を意識しているとその内にそれが無くなって、心が静まってくるとその内的な心理器官が働き出すわけですよね。肉体の感覚器官が制御されてその働きを止めた時に、我々の内側の世界がぱっと働き出してくるというわけです。これが内観とヨーガというわけだと思います。だから、木村先生は『集中内観をしなければ全然、ヨーガにならないよ』というわけですね」

 

そして、最後にNさん自身の内観を語って下さいました。

「母親に対する内観は三回繰り返しましたけれども、何も出てきませんでした。出てくるわけがないのですね。家にいなかったわけですからね。ある時、木村先生から『自分の心の中で母親を殺していたのではないのか』と言われましたけどね(苦笑)でも、集中内観に行くきっかけになったのはやっぱり母親なのですね。病気で寝たきりになって、僕が自宅介護をしたのですよ。それで亡くなった時に、木村先生に電話したら、『すぐにカイラスに行く準備しなさい』と言われました。お袋が亡くなったすぐ後だったので『考えておきます』って言ったら、『考えるんじゃなくて決めて準備するのだよ』って(苦笑)木村先生は待ったなしですからね(苦笑)だから、カイラスに行く前に集中内観に行って、自分の心の内を反省して調べていった方がいいだろうなと思って申し込んだのです」

「集中内観では最初はそうでもないけれども、3・4日目になると、面接者はかなり深いテーマを調べさせるのですよね。その体験があって、『自分はこれまでそれが悪いことだと思わなかったけども、これはとっても悪いことなのか』と思ってしまって、『こんな悪い自分がこのような聖なる場所(内観研修所)に居てはいけないのではないか』と思ったぐらいでしたね。それで、面接者の木村秀子先生に相談したら、『内観はそのようなものだから、最後までやってみなさいよ』と言われましたので、最後まで内観を続けたのです。その時の気付きが一番大きい体験でしたよね」

「私も八年間、自宅介護して色々と母親と言い合いをして修羅場もありました。でも、その八年間の間に、自分に気が付いて行ったのですね。自分がそのような性格なのもお袋と全く一緒なのだと気が付いたわけです。お袋が当時、並々ならぬ苦労をして私を育ててくれたわけです。身体の全身に発疹が出来た時にもお袋は丁寧に身体を手当てしてくれたのです。これはその後の内観(4日目以後)で思い出したわけですよね」

「僕はぐずぐずしている方だったから、お袋が朝に出かける時に僕が布団から出てこなかったら、布団をかぶして抑えつけるのですよね(笑)息が苦しくなるじゃないですか?『死ぬ!死ぬ!』って布団から叫んでね。そして、『ああ、この女は残酷な女だ』っていうイメージが植え付けられるのです。グループで体験をシェアしても、『お袋以外は皆、良い人だと思います』って(苦笑)言ったりするわけです。何かひっかかりがあって、まだ正しい判断が出来ないのかもしれないですね(苦笑)」

 

Nさん、本当にありがとうございました!

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