2度の内観を終えて
S・Y(ヨーガ療法士)
一昨年の平成20年11月23日から30日までの8日間、米子内観研修所にて2度目の内観研修を受ける機会をいただきました。この内観の機会を得ることができたことを、心から幸せに思っています。今までとは全く違う、とても自由で楽な気持ちの自分になることができたからです。
初めて内観を受けたのは同じ年の5月でした。その時は、内観とは何かもよく知らず、何の意気込みもないまま研修に参加しました。そこで、今まで思ってきた自己像とはあまりにかけはなれた自分をまざまざと見せ付けられ、ショックを受けました。私はそれまで自分ががんばったおかげで今の自分がいる、というような感覚でいたのですが、こんなに身勝手で弱い私が今こうしていられるのは、周囲の人の親身で温かい支えがあってこそなのだと気づき、まさに価値観の転換ともいえる経験をしました。中でも一番衝撃的だったのは、嘘と盗みについて内観していたときです。わたしは、高校時代に万引きを繰り返していたことがあるのですが、内観をして初めて、自分は悪いことをしたのだ、と気付きました。「私がこんなことをするのも環境のせいだ」と責任転嫁の言い訳をして悪事をしてきたことに気付いたとき、自分を正当化して盲目になっていたことを本当に恐ろしく思いました。
初めての内観を終えて、それまでより物事を内省的にとらえることが多くなった気がしていましたが、今から思えばあまり深い内観ができていなかったのだと思います。自分の真の姿を見、そんな自分があまりに自分勝手でしたので、なかなか受け入れることができないまま数ヶ月が経ち、そんなショックもだんだんと薄れかけていきました。
2度目の内観は自分の中でどうしても解決したい問題をかかえて参加しました。高校生の頃から摂食障害だった私は、症状はいくらか改善したものの未だに苦しい時期が無くなりませんでした。結婚後半年経ったその頃、その状態がまたひどくなり、こんな状態なのは自分がだらしないからだといつも自分を責めていました。そして気付けばもうその症状が10年間も続いていることに気付き、これはもしかして、自分ががんばれば治るほど単純なものではない、何か目を向けるべきところから、目をそらしているような気がしました。そして、大げさかもしれませんが藁をもつかむ気持ちで、2度目の内観研修を受けることにしたのです。
初めての内観研修では、本当に内観らしい調べ方が出来たのは5日目くらいからだったのですが、2度目の内観では、必ず何かをつかまないと後がないという必死の思いがあったからか、1日目から集中することができました。
1日目、まずは親についての内観を行っているときの先生との面接で、どうして異常な食行動を繰り返すのか、について話をしました。「あなたは家庭環境も金銭面でも恵まれていてこれといって問題がないのに、どうしてこんな症状が出るのでしょうね。」と訊ねられ、そこで初めて、私は自分が育ってきた環境に問題があったのではないとはっきり思い、原因を他に探し始めたのでした。それまでは、摂食障害の原因は母子関係の問題によるものが大きいと言われていることから、原因に関して母を責めることはあっても自分に突き詰めて問ったことはなかったのです。
今まで私は、摂食障害の原因は自分がだらしないからであって、がんばったらやめることができる、という思いをどこかで持ち続けていました。考えてみると私は、いつももっとできるはずだ、もっとがんばろうと思ってきました。そして、がんばろうと思って調子よくがんばりはじめてしばらくすると、反動で激しい食行動が出てくることが分かりました。
このようなことを先生に話すと、「それは、幼稚ですよね。小さい頃はいいかもしれませんが、この歳になっても完璧を目指して、そうなれない自分を責めるというのは、幼い考え方を持っているんですね」と厳しく言ってくださいました。
2日目には、小さい頃からフラストレーションがたまると時々爆発して感情の制御がきかなくなり、自分でもびっくりするくらいの大声で人に叫んだりしたことを思い出しました。嫌なことがあってもいつもぐっと自分の中に溜め込む癖があり、「嫌だ」とか「悲しい」とかそういった感情を人に伝えることがずっとできてこなかったことに気付きました。そして、今でもそんなフラストレーションを冷静に人に伝えることができず、不機嫌になったり食行動で発散したりといったような歪んだものとして表出させている自分に気付き、1日目に引き続き自分の幼さに気付かされました。そして今の自分には幼い頃と違い、気持ちを表現する言語能力があるので、負の感情や問題行動ではなく、きちんと言葉を使って表出させることで精神を保つことができるはずだ、とも思いました。
3日目、今まで他人のせいにしてきた上手くいかないことや、嫌な思いをしてきたこと、そのすべてに、自分の受け取り方に問題があったのだと気付きました。冷静に考えたら他人を責めることではないのに、上手くいかなかったり嫌な思いをしたりしたら周囲の人を責めてしまう自分がいました。それはだだをこねる子供のようであり、いつも自己正当化をしようとしてきた自分というものが少しずつ見え始めてきました。
4日目には、先生から「あなたには行動化の傾向があり、自己顕示欲が強い」と言っていただき、そういう目で自分自身を調べるよう、そして自分の衝動に対しても調べていくようにアドバイスをいただきました。調べてみると、私には食行動以外にもとても衝動的なところがあるということが分かってきました。先生に、良心をさえぎってぱっと行動に移した場合、良心を無視しているので、結果はいつもあまりいいことにはならない、あなたのその傾向は大きな欠点でもある、と指摘をいただき、どうして理性や良心でコントロールできないほど衝動的なのか、それについても調べを進めていきました。
そうしていると、そんな衝動的な自分を正当化し変えようとしてこなかったのは、周りにいる家族や夫がいつも私のことを受け入れてくれ「そのままでいいよ」と言ってくれているのをいいことに、自分の行動に疑問を持たなかった事実に気付きました。しかし、批判的な言葉や注意を逆上したり不機嫌になったりして拒絶し続けてきた私の周りには、すでに注意をしてくれる人はいなくなっていたことに気付き、愕然としたのです。そこまで気付いたときに、先生からの、「そうですね。いくら言ってもあなたは逆上するだけから、そっとして置こうと、周りの人にあきらめられて、注意されなくなっていたんですね。だから今あなたはここで自分で気付かなければならなかったんですね。あなたが今回内観に来られたことは、正解ですね。これから、変わらなければなりませんね。」というお言葉に、涙が出てきました。
こうであるはずの自分と、現実のあまりに未熟な自分に、大きなギャップがあることを感じ始めていました。そして、今まで多くの間違った考えや行為をしてきましたが、そのときいつも、そんな自分をおかしいと感じている理性的な自分がいたことにも気づきました。その理性的な自分はいつも、それよりもあまりに大きい欲望や衝動にいつも押し流されていたのです。
5日目、嘘と盗みの調べは前回も今回も、一番つらかったと思います。これまではたらいてきた嘘や誇張、盗みは、すべて自分を守るため、自分勝手な理由からだとはっきり思いました。そして、今回愕然としたのは、自分が一番嘘をついたりごまかしたりしていた相手というのは、自分自身だったということに気付いたときでした。
6日目は、それまでいろいろな気付きがあり、研修開始当初の切羽詰った感じがいくらか緩んで、午前中少し違う考え事をしたりして気が散りました。しかし、その日のお昼のテープの「内観と医学」の中の、アルコール依存の人が中毒を克服していくのは、内観によって「飲まない」というよりむしろ「飲めない」という意識に変わるからだというようなお話を聞いたときに衝撃を受けました。自分の内観はまだまだ浅い、今の自分ではまた食への依存を続けるかもしれない、でもなんとしても変わりたい、という気持ちになり、初心に帰って今研修を始めたばかりのつもりで取り組むと自分に誓いました。
そしてこのとき、自分がなぜそれほどまでに良く見られたいのか、優越感を感じたいのかという課題を頂き、調べていました。それは実力が無いのに、あるように見せようとするからである。しかしすごいと思われてもそれは一時的なもので、虚しいものだ。と先生に言っていただきました。
それまでの6日間の内観で、いろんな角度から、いろんな年代から、自分の問題について何度も何度も調べてきました。そして7日目の朝、目が覚めて内観を始めると、自分がなぜ摂食障害になったのかについて、分かったような気がしました。それまでどうしてこんなに苦しまなければならないんだろう?この問題さえなければ幸せなのに、と思っていましたが、こんなに自己中心的で責任感のない私がこうなるのは当然だったのだと、心の底から納得できました。そしてそう気付けたことがとても嬉しくて嬉しくて、飛び跳ねたいような気持ちになりました。
この一週間、正直苦しかったのですが、それは、本来ならここまで生きてくる中で、人に注意をされたり、問題に直面したりすることで、そのときそのときに悔い改めなければならなかった自分の未熟さや欠点からいつも目を背けていたからでした。そしてその時その時で感じるはずだった苦しみを、まとまってこの内観で体験したわけであって、苦しいのは当たり前でした。
そして、最後の母に対する内観に入りました。前回とあわせると母に対する内観は5回目です。そしてそのとき、それまでの4回では思い出さなかった高校1年生の頃の母を思い出しました。その頃、学校にも行かず毎日のように遊びに出て、帰りも遅く補導もよくされるような状態だった私に対して、母がいつもため息をついたり、ただいまに返事もしてくれなかったり、叱ったり、そんな母しか思い出すことができませんでした。しかし、母はいつも私のことを理解しようと全力を尽くしてくれていたことを思い出しました。どんなに帰りが遅くても家に帰れば入れてくれないことはなかった、毎日ご飯やお弁当を作ってくれた。毎月お小遣いもくれたしクリスマスプレゼントもくれた・・・。母から「していただいたこと」が、次から次へと思い出されました。そんな母に対して、私は母のちょっとした態度に過剰に反応して、受け入れられていないと思っていたのです。そんな母に、一瞬でも責める気持ちを持つ権利は私には無いはずでした。しかし、実際には長い間責める心を持ったり、そのことを実際に口にしたりしていたのです。お母さん、ごめんなさい、本当にごめんなさい、と繰り返し言いながら、屏風の中で一人涙をこらえきれず声を上げて泣きました。
私は一番身近な一番大切な人たちのことを、自分の表向きを良くするためにないがしろにしていた自分に気づきました。やらなければいけないことは、自分を良く見せようとすることではなく、身近にいる大切な人たちを大事に大事にすること、それだけだなぁと思いました。そして、もう二度と家族に対して無礼な態度はとらない、と心に誓いました。
8日目の朝、起床時間よりも早く目が覚め、布団の中でこれからのことをいろいろと考えていました。その時、自分の心の縛りが取れて、心が軽くなっていることに気づきました。
内観が終わって、私の帰りを待っていた家族や夫に会いに行きました。みんな私の帰りを本当に喜んでくれて、こんな私でもこんなに大切に思ってくれている人がいる、と嬉しさと感謝の思いでいっぱいになり、改めて強く、この人たちをこれから大切に大切にしていこう、と思いました。
また、面接で全身全霊で私と対峙してくださった先生がいたからこそ、内観で深い気づきを得ることができたのだと思います。先生には、時には厳しい言葉を言っていただきましたが、その裏に深い愛情を感じました。家族でもないのにこんなにも親身になって自分と向き合ってくださっているということがとても嬉しく、感謝の思いでいっぱいです。
内観を終え1年半が経とうとしています。あんなに憎んでいた摂食障害ですが、あのようなことがなかったら、私は傲慢で人の優しさもないがしろにするような人間だったかもしれません。自分を見つめなおすきっかけを与えてもらえたことに、今は感謝しています。
(上記の印象記はS.Yさんの了解をいただいて、『麻本呂婆第6号』より転載させていただきました。ありがとうございました)
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